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百人百色 -正直に生きる-

木工と暮らしの店 『6』 rock 荒西浩人さん

皆さんは時間を忘れてしまうほど何かに熱中した経験はありますか?
寝る暇も惜しいと思えるくらい、何か夢中になれるものに出会うことは、人生において大きな財産になるのではないかと思います。
人は自分1人の人生しか経験することはできませんが、いろいろな人の人生を知るころで、疑似体験をしたり、自分の人生だけでは触れられなかった価値観を知ることができたりしますよね。
『百人百色』は、さまざまな人生を歩まれている方々にお話を伺う連載です。
今回は、高校卒業後のアルバイトをきっかけに家具職人の道へと、のめり込んでいかれた荒西浩人さんに、人生の転機となった出来事や、大切にされている価値観についてお話を伺いました。

木工と暮らしの店 『6』rock





荒西さんのお店、木工と暮らしの店 『6』rockがあるのは兵庫県丹波篠山市。
市の中心部から車で約15分のお店の周りは、のどかな風景が広がり、時がゆったりと流れているように感じることができます。





お店の中に一歩お邪魔すると、ふわっと木の香りが漂う素敵な空間が広がっていました。
荒西さんは、こちらで別注家具やオーダー家具、店舗の内装やリフォームを手掛ける木工職人としてお店を営んでおられます。
白を基調とした店内には、荒西さんが作られた家具たちや、アンティーク家具が素敵に飾られ、インテリア好きには堪らない空間です。





店内にある大きな窓からは茶畑を一望することもできます。
荒西さん達ご家族が丹波篠山市に移り住まれて来られたのは12年前。
今回は、荒西さんの人生の転機となった出来事や大切にされている価値観についてお話を伺いました。

第1の転機は高校卒業後のアルバイト





高校を卒業してからドラマーとしてバンド活動をしながらフリーターをされていた荒西さん。
人生の第1の転機となったのは、大阪にあるチャイショップ"カンテグランデ"でのアルバイトだったそうです。

「当時は家(伊丹)の近所でバイトしてたんですけど、話が合う友達が少なくて、大阪に出てみようかなと思ったんです。何かおもしろいバイト先ないかって友達に聞いた時に、芸術家とかアーティストが集まる"カンテグランデ"ってところがあるって教えてもらって、面接しに行きました。当時僕はかなりの長髪やって、長髪はダメって所も多かったんですけど、カンテは見た目とかではなくすぐOKって採用してもらえて、アルバイトするようになりました。カンテには、ミュージシャンや絵描きやDJとか、色んな人が居てはって、話が合うし、おもしろかったです。 仕事内容よりも、人との接点が近いところが好きで、感覚が一緒の人と仕事したいっていうのは、今でも思っていることです。自分ってことをわかってもらえる、お客さんのことをわかろうとする自分っていうのは、今に受け継がれてるような気がしてて、そこが僕の起点になりましたね。それが19、20くらいのことです。カンテで働けたことがすごく良かったなって思ってます。」



カンテグランデでのアルバイトを通して、大切にしたい価値観に気付かれた荒西さん。
家具職人を目指すこととなったのも、カンテグランデでの出来事が大きなきっかけだったんだとか。

「昔からものを作りたいっていうのが自分の中にありました。実家の農家を手伝ってたり、親父が職人気質な性格やって『職人としてやっていきいや』って話されてたのも理由のひとつなんですけど、カンテ在職中によく友達に木彫りのものを作ってたんです。バイトの子に誕生日の時に木彫りのネックレスとか置物をあげてたら、皆がすごい喜んでくれるのが嬉しくて。何かを買って渡して喜んでもらえるんじゃなくて、自分で作ったものを身に着けて喜んでもらえるっていうのはすごい楽しいことやなと思って。木っておもろいなってハマってしまいました。この車も、僕が19の時に乗ってたvw tipe3を木彫りで作ったやつなんです。”職人”と”ものづくり”と”木彫り”っていうのがリンクして家具職人になりたいなって思うようになりましたね。」

第2の転機は無口な親方の下での修行のような日々





目指す道を決意された荒西さんは、カンテグランデを離れ、家具職人の世界へと足を踏み入れられました。





「始めは大阪の町工場で2年半くらい働きました。そこは無垢材とかじゃなくプリントした木目調の板で一般企業の家具を作る会社でした。今でいうパワハラは日常でしたがなんとか3年ほど働き僕は、何でも突き詰めたい性格なんで、ある程度までいったら筋がわかってしまって、これ以上ここでやってても伸びないなって思って。京都で無垢材のみで家具を作っている会社があったので、そこで働くことにしました。これは、自分にとっての第2の転機。修行みたいな感覚で、挑む感じでしたね。そこでは、一人親方につかせてもらったんですけど、その人は何も話さない人。3年半働いたんですけど、僕多分喋ったん30分くらいです(笑)。背中を見て覚えろっていう人やろうなと思って、必死で見て覚えましたね。結局、何でも自分次第やなって思います。教えてくれへんじゃなくて、教えてもらえるように自分で仕組まなあかんし、盗まなあかんしっていうのはずっとやってきてますね。」

第3の転機、デザイン会社grafの創設





京都の会社で親方の背中を見て学び続けること約4年。
最後の1年半は、それぞれの分野で活躍されていた友人達6人で、仕事終わりに大阪の工場で夜7時から朝の2時まで働き、数時間寝て、またそれぞれの仕事へ行くという生活を続けられていたそうです。
荒西さんが27歳の時、その6人で創設されたのが大阪のデザイン会社"graf"。
家具やインテリアがお好きな方は、きっとその名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。





「仲間達と俺はデザイン担当、じゃあ俺は家具やるわ、大工さんと料理はボクーって感じで、やってみいひん?って、ノリでしたね。初めの頃は本当に貧乏暮らしでしたよ。1日100円でどう暮らすかってやってたくらい。でも、やれるかわからんような依頼もやれます!って言ってどんどんやっていくうちに、若いのに頑張っているデザイナー集団がおるって評価されだして、日本や海外の雑誌の取材を受けるようになったことで軌道に乗り出しました。評価はされてましたけど、僕らはずっと淡々と正直に仕事を続けてましたね。」



当時、たくさん苦労もされていたという荒西さん。
それでも、夢中で家具を作ってこられた原動力は何だったのかお尋ねしました。

「まず金ではないですね。とにかくやりたかったっていう一心です。何かに訴えたかったんでしょうね、必死でした。作ることに意義があるとか、日々起きてることに楽しいと思えることがあれば、お金は勝手についてくるもんやと思ってて、しんどいこともあったけど日々楽しいなって思えることを大切にしてました。ヘトヘトになりたいんですよね。一生懸命やってる自分を自分が評価したいみたいな。ヘトヘトになって寝るのが、生きているなって感じる最高の幸せです。だから、楽して生きるっていうのはできひんかな。」



小さなショールームから6人で始めた会社も、拠点をビルに移し、社員数も増えていきました。
ご結婚されお子様を授かったことで、子どものいる家庭に配慮した何かができないかと考えられた荒西さん。
そんなサービスを提供したくてもその思いを共有できる人が少なかったり、会社の方針が変わったり、と少しずつ違和感を覚えるようになった荒西さんは、40歳の時にgrafを退職し、独立されることを決意されました。



「次のフェーズにいかなあかんなと思ってグラフをやめることを決意しました。一生懸命やったから一生懸命の評価が欲しいし、一生懸命やって見える形を掴みたいっていう性格なんです。外注かけて出来上がった内装のレセプションに行って『ありがとうございます!』って言われても、自分ここに何も手かけてへんやんってそんな自分がすごく嫌でした。僕はリアルで動く人間でありたくて、相対数は少ないかもしれへんけど、本質はそこやって思ってくれてはる人がいてくれてるからこそ、仕事を続けられてると思ってます。」

第4の転機、丹波篠山市への移住



grafを退職されてから4か月後、丹波篠山市にて別注家具やオーダー家具、店舗の内装やリフォームを手掛ける『木工と暮らしの店 『6』 rock』をオープンされた荒西さん。
独立の地を丹波篠山に決められた理由をお聞きしました。





「人が憧れるような生活をしてると、人ってそこに集まると思うんです。自分自身が豊かだと思っていない仕事の仕方や生き方は、人に対して豊かな暮らしを提案する立場としてどうなんだろうというのが自分の中にあって。自分らが幸せと思う心地よい暮らし方を発信してたら、人も来てくれるやろうなって思ったんです。自分の中のストーリーみたいなのを作りたくて、そのテーマが"田舎暮らし"だったんです。自分が実験台じゃないですけど、先に出なければ、物事は変わらないっていうのもずっと思ってます。パイオニア的に自分が時代作るぞくらいの勢いじゃないとあかんなって。」

正直にまともに生きること



様々な転機を経験されてきた荒西さんが人生の中で大切にされていることについて伺いました。

「正直にまともに生きたいっていう感じです。どんなに泥臭くても一生懸命してる姿って誰が見ても評価されると思うんです。満足いかなかったら面白くないじゃないですか。例えば、SNSでたくさんいいねがもらえることは僕にとっての満足ではなくて、自分の納得感がないと幸せではないんですよね。ええもんが出来て喜んでもらえた瞬間とか、良いものを納められたお客さんから数年後に『皆からこれええなって言われるんですよ』って言葉をいただけることとかに生きがいを感じますね。正しくまともにまっとうに生きてるって感じです。後輩たちにもよく言ってるのは”我が身知る”って言葉。自分のことがわからへんから悩んだりどうしたらええかわからへんくなったりすると思うんです。正しくまっとうに生きる人が増えればもっと世界は平和になるし、もっと皆気楽に生きれると思ってます。」





お仕事はもちろんのこと、バンド活動やバイク、サーフィンなど趣味も突き詰めて楽しんでおられる荒西さん。
荒西さんが思う幸せな生き方についてもお話を伺いました。

「自分の生き方を認めてもらえて、それが仕事になって、お客さんにも喜んでもらって、休みは趣味を楽しめることが自分にとって幸せです。めちゃくちゃシンプルやと思います。あとは何でも自分でやってみることですかね。自分でやると技術力や知識が増えて、それを今度人にも提供できると思ってるんです。職人さんって技術を自分のものにしておく人が多いと思うんですけど、僕の場合は知識をひけらかしたりするし、こうしたほうがいいよって提案できたり。その場のお金を目指すのではなく、もっている知識とかを無償の愛として提供することが仕事につながってるんやと思います。」

荒西さんが作る家具





※画像提供:荒西さん

こちらは荒西さんが作られたダイニングテーブル。
木目や節を活かしたテーブル、素材を活かすということも重要。
繊細な職人技に驚きました。



木材そのものの良さを生かして作るのも荒西さんの作られる家具の大きな特徴。
「家具作りも一緒で、節があるからそこで切ってしまおうではなくて、木そのものを生かすために正直にやってるんです。お客さんも皆さん大きさの希望とかはあっても、細かいディティールはお任せでって方が多くて。めっちゃありがたいですね。」

お店のホームページには、荒西さんが今までに作られてきた家具たちが「Product」ページにまとめられていますので、ぜひそちらもチェックしてみてくださいね。



いかがでしたか?
人生で様々な転機を迎えられた荒西さんですが、どんな時もご自身の中で変わらなかったものは「正直に生きる」ということ。
どんな状況に陥ったとしても、自分の中にぶれない軸があり、自分を知ることを怠らなければ、進むべき道は自ずと見えてくるものなのかもしれません。


▼木工と暮らしの店 『6』rock
〒669-2224
兵庫県丹波篠山市味間北947−1
営業日:金・日・月 (不定休)
※HPの営業日カレンダーからご確認ください
TEL/FAX : 079-558-8203
HP:http://www.6-rock.com/index.html
Instagram:https://www.instagram.com/6rock_furniture/


 

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